とう かい しんそなえて かわ しんから まなぼう


かわ しん しつもん and こたえ
Q10: 余震よしんはあったのですか?

三河地震の余震一覧みかわじしん よしんいちらん

 大きい余震よしん やや大きい余震よしん やや小さい余震よしん  小さい余震よしん  無感余震むかんよしん
有感半径ゆうかんはんけい
300Km以上
有感半径ゆうかんはんけい
200-300Km
有感半径ゆうかんはんけい
100-200Km
有感半径ゆうかんはんけい
100Km未満
   計    人が感じない
余震
  総計  
13 2 2 87 91 190 281
14 3 5 25 33 78 111
15 1 1 9 11 62 73
16 1 2 6 9 42 51
17 1 1 2 37 39
18 7 7 28 35
19 1 6 7 32 39
20 5 5 26 31
21 4 4 29 33
22 1 4 5 30 35
23 1 1 2 13 15
24 1 2 3 19 22
25 17 17
26 2 2 7 7
27 16 16
28 1 1 2 6 8
29 1 1 14 15
30 5 5 9 14
31 11 11
1 7 16 165 189 666 855



上の表うえ ひょう地震後じしんご週間しゅうかんほどにきた余震の記録よしん きろくです。日を追ひ おって余震の回数よしん かいすうおおきさ
がよわまっていることがわかりますが、日に何度ひ なんどとなくおそってくる余震の恐よしん おそろしさのなか
での生活は大変せいかつ たいへんなことであったろうとおもわれます。家に住いえ すみたくても地震で倒壊じしん とうかいした
り、倒壊とうかいをまぬがれてもかたむいたり、瓦が落かわら お壁が傷かべ いたむなど危険な状態きけん じょうたい家は余震いえ よしん
時倒壊つとうかいするかもれないと言う心配いう しんぱいで、おおくの人々は住ひとびと すんでいた家を離いえ はなれて冬の寒ふゆ さむ
空の下急そら したきゅうごしらえの地震小屋じしんごやでの生活を続せいかつ つづけたそうです。当時は戦争中とうじ せんそうちゅうであり、てきか
らの爆弾攻撃に備ばくだんこうげき そなえて防空壕と言ぼうこうごう い地下穴も掘ちかあな ほっていたのですが、相手が地震あいて じしんでは
時崩つくずれるかもわからない防空壕ぼうくうごうでは役に立やく たたなかったそうです。地震小屋じしんごやでの生活せいかつは
3月頃がつごろまでつづいたと言う話い はなしもあります。