とう かい しんそなえて かわ しんから まなぼう


かわ しん しつもん and こたえ
Q9: 地震じしんで、体験たいけんした人の記録ひと きろくはありますか?


三河地震を体験みかわじしん たいけんされた方々の貴重かたがた きちょう手記しゅきはホームページ「わすれじの」に掲載けいさいしてありますので くわしくはアクセスしてていただければとおもいますが、ここではその一例を紹介いちれい しょうかいします。なお、原 文の一部げんぶん いちぶをカットするとともに表記も変ひょうき かえさせていただいています。 ホームページ「わすれじの」は こちら です。    以下いかはその当時、形原とうじ かたはら兵隊へいたいとして滞在たいざいしていて地震じしんにであった人の手記ひと しゅきです。 三河地震の回顧みかわじしん かいこ・・ 一駐屯兵の手記いちちゅうとんへい しゅき 松井 請人(当時22才)岡山県邑久郡長船町福里233 -------------------------------------------------------------------------------- とにかく、わたしの心に強烈こころ きょうれつきつけられているのは昭和20年1月13日午前3時36分しょうわ ねん がつ にちごぜん じ  ぷんと いう日時にちじです。そうです。昭和20年1月13日午前3時36分しょうわ ねん がつ にちごぜん じ  ぷん出来事できごとでした。 わたしは、形原に駐屯かたはら ちゅうとんする兵隊へいたいとして連日連夜兵隊達の炊事れんじつれんやへいたい すいじに、夜昼よるひるなしで大奮闘だいふんとうをしていまし した。るのはその仕事の合間しごと あいまをぬって1時間じかんとか2時間の仮眠じかん かみんをとるのが精一杯の状態せいいっぱい じょうたいでした。 その日も夜中ひ よなかの12時頃に兵隊達じころ へいたいたち食事後の片付しょくじ かたづけけをし、つぎの日の朝食準備ひ ちょうしょくじゅんびをしてくたくたになり、 毛布もうふにくるまって、やれやれ今日きょうもこれで一段落ひとだんらくか、「本日異常ほんじついじょうなし。」 と日誌にっしをつけているうち にねむくなり、うつらうつらしていました。突然とつぜん、ゴォーという地鳴じなりが丁度列車が遠ちょうどれっしゃ とおくからはしってく るときのようなかんじでちかづいて、わたしはふと何事なにごとか?今迄聞いままできいたことのないおと不安を予感ふあん よかんしました。 その途端とたんでした。体が急からだ きゅう宙に浮ちゅう うき、電灯でんとうがパッとえ、「ガラガラゴトゴトドスーン、ドドッドー ン」と猛烈な震動もうれつ しんどう私の体わたし からだ空中くうちゅうで2、3回振り回かいふ まわされたかんじでした。一体何事いったいなにごとか?米軍の艦砲射撃べいぐん かんぽうしゃげき か、あるいは爆撃ばくげきか、これは大変たいへんだ。 みずをかけられたような恐怖の戦慄きょうふ せんりつすじをはしりました。 あわててふくをさがすのですが、真暗闇まっくらやみで、頭の所あたま ところにきちんとそろえてたたんであったはずなのに、どこ にったのか、自分じぶんいている方向ほうこうすらわからないし、おまけに立ち上たち あがったものの、畳は波たたみ なみうえふねのようにおおゆれにゆれているので、まともにはてません。 「ガラガラガチャーン、ドスーン」棚の上たな うえもののころがりちるおと。ガラスのれるおと……。 そのときパッと外に閃光そと せんこうはしりました。丁度写真ちょうどしゃしんのフラッシュか、稲光の様いなびかり ようかんじでした。私は自分わたし じぶん腕時計を瞬間的うでどけい しゅんかんていました。はりは336ぷんでした。この時刻が私じこく わたし脳細胞に永久のうさいぼう えいきゅうきつい てしまったのです。私の時計わたし とけいただしい時刻じこくであったかどうかそれはわかりませんが、その記憶きおくは3 36ぷんです。こんなに腕時計の文字盤うでどけい もじばんがハッキリえるとは不思議ふしぎですがわたしにはそうえました。 そうした恐怖の最中きょうふ さなか一瞬の時計いっしゅん とけい針が鮮烈はり せんれつ私の脳細胞わたし のうさいぼう記録きろくされたのです。 それはさておき、私は何わたし なにをなすべきか、どうすればこの部屋へやから脱出だっしゅつできるか。四つんばいになって 毛布もうふをかぶり、ガラス戸に手と てをかけたが、ビクともしない。当時、新築とうじ しんちく檜枠の立派ひのきわく りっぱな1まいガラス の戸で丈夫と じょうぶであったのでどうにもきません。一瞬いっしゅんガラスをぶちってともおもったのですが、ガラ スでケガでもすると大変たいへんだと、案外冷静あんがいれいせいになって戸に手と てをかけたまましばらくをおいてつぎのゆれを ちました。外は真暗闇そと まっくらやみ、バリバリバリ、柱や梁はしら はりれるおと、ドッスーンと家の倒壊いえ とうかいするおと、ガラガ ラザーとかわらがずりちるおと・・・、それに「おかあちゃーん。」と必死に絶叫ひっし ぜっきょうする悲鳴ひめい・・・。 そうです。地獄じごくです。「大地に立だいち たつ」と言葉ことばのようにごろわたしたちは大地だいちこそ安全、不動あんぜん ふどうのもの という気持きもちをっていますが、そのびくともしないとおもっていた大地だいちがぐらぐらゆれて、まともに はっていられません。いまにも地割じわれができて、そのなかにはさまれてつぶされるのではないかといっ た恐怖感きょうふかん逃げ場にげ ばのない、すがるもののないおそろしさは言葉に表ことば あらわせないもので、体験たいけんしたものだけがろしさです。 わたしたちの宿舎は幸しゅくしゃ さいわ頑丈がんじょうにできたものでしたし、場所も良ばしょ よかったのですが、これ が西にしへ50mぐらいっていたら、私の今日わたし こんにちはないとおもいます。 あちらこちらから、たすけをもとめるこえ親が子おや こ呼ぶ声よぶ こえ、「たすけてー。」「オーイ誰か来だれ きてくれ!」「 いたいよー、かあちゃん・・・」 ピカッと閃光が走せんこう はしる。そのひかり浮き上がって白い土煙しろ つちけむり丁度砲弾ちょうどほうだん爆弾の煙ばくだん けむりのように舞い上まい あがる。ド ドッドド・・、ガラガラバリバリバリッパリ!・・・。 木の折き おれる音、瓦おと かわらやガラスのれたり、とび散る音ちる おと・・・。白煙はくえん噴き上ふき あ*げるようにえるのは、 ぞうとか、家の倒壊いえ とうかいするときのつちぼこりです。をはくような悲痛な悲鳴ひつう ひめい真暗闇まっくらやみにそうした異様と言いよう いうか、 おととか声が交こえ こうさく、時々ときどきピカッと光る閃光ひかる せんこうは、そのつちぼこりをけむりのようにかびがらせます。地震じしんには 発光現象はっこうげんしょうともなうといますが、まったくそのとおりです。電線でんせんのスパークのひかりだとのせつもあるようですが、 そんなものとはかんがえられません。もっと大仕掛おおじかけで、雷光と同らいこう おなじようにえるので地電流ちでんりゅう地磁気等ちじきなど作用さようによるのではないだろうかと今でもわたしはそうおもっています。 ともかく、この発光現象はっこうげんしょうでピカッーとそのあたりがあかるくなる。地の底ち そこから、何万なんまんトンもあるようなおおき な岩石がんせき落ち込お こむような音響おんきょうが、ゴトゴトドーン、とてもこんな文字もじでは表現ひょうげんできない無気味な音ぶきみな おとこえてきます。とおくからドドッドドと次第しだいおおきくなりながらちかづいてくる地鳴りの音じなり おと次の瞬間つぎ しゅんかん、 グラグラと震動しんどうがきます。こうした繰り返くり かえしが数10回すう かいわたしは60回以上かいいじょうあったと記憶きおくしています。 やっとの事で外こと そとにとびしたわたしは、さてこれからどうすればよいか、こんな姿すがたではどうにもならぬ、 ちつけ、ちつけと自分を叱じぶん しかり、先ず服装まず ふくそうととのえねばなにもできぬ、そもそもさむくてやりれぬ。 あちこちから、あわただしい人の動ひと うごきや、たすけをもとめる民家の人達みんか ひとたち、とにかくこうした緊急事態の発生きんきゅうじたい はっせい です。被災者達を救助ひさいしゃたち きゅうじょする命令が下めいれい くだされ、救出作業が開始きゅうしゅつさぎょう かいしされました。 何と言なん いってもこうした事態は予想じたい よそうもしなかったし、それに対応たいおうする処置、或しょち あるいは機材や器具きざい きぐ何一なにひと用意よういされていません。道具どうぐなんかさがしているひまもない、うめき、くるしみもがいているひとたちを一刻いっこく早く発見はやく はっけんし、救助きゅうじょすることが先決せんけつです。わたし十字鍬一丁じゅうじぐわいっちょうにして、こえのしているところをめがけて一目いちもく さんはしりました。うめきくるしむ声が唯一こえ ゆいつ手掛てがかりりで倒壊とうかいした家の下敷いえ したじきになっているひとたちに、「オーイげん 気を出き だせよー。」「今助け出いまたす だすからなー、しっかりしろよ!」と、こえをかけます。「早く早はや はやく。くるしい !たすけて!」・・・なかなか作業は思さぎょう おもうようにはかどらない。道具どうぐがないのである。先ず瓦ま かわら一枚一枚いちまいいちまい ではねのける。垂木たるき叩き折たたき おる。おおきな梁に出はり でくわす。と、これはどうにもならない。この下に人した ひとが いるのだ。はせくが何とも残念なん  ざんねん。ようやくぼうをさがしてこのはりをこねげる。その下に穴した あなをあける。 下の方した ほうでさぐってる。ある。ある。そこに人の手ひと てがある。 「しっかりしろ!」「今出いまだしてあげるからねー。」「このだね。しっかりしてなさいよー。」 一生懸命声いっしょうけんめいこえをかけながら救出の穴きゅうしゅつ あなをあける。「いたい−、くるしい、はやく、はやくー。」と言う声い こえ次第に弱しだい よわ まり、ついに力尽ちからつきて救出きゅうしゅつまでにわたし目の前めの まえ何人なんにんかの人が死ひと しんだ。 不運ふうんにも、そうしてくなったひともあればまた、わたし何人なんにんもの人を助たすけた。正確せいかくにはおぼえていないが5 にんや10にんではなかった。 なかにはむすめさんで、大腿部を梁だいたいぶ はりにはさまれて身動みうごきができ ず、気息きそくえんえん、余震よしんがまだひどくギシ ギシと音を立おと たてて足の骨あし ほねをもみくだくようにしつけ、苦痛に気絶寸前くつう きぜつすんぜんった所を梁ところ はり下に材木した ざいもくれて、こじあげ、ようやく助け出たす だした事等ことなど思い起おも おこしますが、そうした人達は今ひとたち いまどうなさって いるでしょうか。 夢中むちゅうでそうした救出作業きゅうしゅつさぎようをしていましたが、やがて夜も白よ しらみはじめ、ようやく朝の光あさ ひかりがさしして、 あたりの様子が分ようす わかるようになりだしました。所々に倒壊ところどころ とうかいをまぬがれた家が残いえ のこり、無残むざん瓦の山かわら やまとな った家々、眼いえいえ めをおおう惨状さんじょうでした。 そのころになると部落の人々ぶらく ひとびとも「あそこの家の誰々いえ だれだれさんが不明ふめいだ」とか「兵隊へいたいさん、あの家の子供いえ こども がまだ家の下いえ したです。」とかいうように我々兵隊と協力われわれへいたい きょうりょくしての活動が始かつどう はじまり、作業は能率さぎょう のうりつをあげてきゅう 出作業しゅつさぎようはどんどん進行しんこうしました。 あかるくなるといろいろな事が眼こと めに入ります。先ず道路まず どうろ亀裂、電光形きれつ でんこうがたあるいは一直線いっちょくせんに、道路の中どうろ ちゅう おうおおきなくちをパックリひらいている。 今迄全く気いままでまった きがつかなかった我々宿舎の西方われわれしゅくしゃ せいほうの50m〜100mぐらいの所は南北ところ なんぼく断層が起だんそう おこり、 平面へいめんだったんぼは、ど真中を段違まんなか だんちがいに断ち切た きられ、道路どうろも、そこでだんがつき、その断層だんそう線上せんじょうにあ った家は残いえ のこらず倒壊とうかいしていました。一体いったい、この断層線の両側だんそうせん りょうがわのどちらが、ずりがり又落またおちこんだ のか?我々われわれには見当けんとうもつかなかった。ただ自然の力しぜん ちからおそろしさを目の前め まえにしてわたしたちはおどろくば かりでした。 地震じしんには薮の中やぶ なか安全あんぜんだとか、桑畑の中くわばたけ なかがよいとか、どものころからいていましたが、こうした 断層は川だんそう かわ竹薮も道路たけやぶ どうろ区別くべつなしに容赦ようしゃなく、つっぱしり、つきっています。 大地だいちこそ、ははなる大地で不動だいち ふどうおもっていたのに、こうした、もろさや、変動を見へんどう みて、私は心わたし こころそこから 恐怖を感きょうふ かんじました。でも救援は続きゅうえん つづけなけれはなりません。余震は断続的よしん だんぞくてき襲来しゅうらいします。山の手やま て家の救出いえ きゅうしゅつかったときのことです。なんといううちであったか全然記憶ぜんぜんきおくにありませんが、とに角東側かくひがしがわ牛小屋うしごやがあったように記憶きおくしていますが、「オーイ」と呼ぶと「ウーン」と呻く声うめ こえがします。 「居る居い いる、人が居ひと いるぞ。」「しっかりしろよ−。」「ウーン。」「きている、きているぞ。」 というので一生懸命掘いつしょうけんめいほしてみると真っ黒ま くろうしでした。 当時形原一帯の農家とうじかたはらいったい のうかでは黒い和牛くろ わぎゅう飼育しいくしている家が多いえ おおかったように私は記憶わたし きおくしています。そうい ったわらえぬハプニングもありました。 こうして生存の生せいぞん いめになっている人達を次々ひとたち つぎつぎ助け出たす だし、むこうの山すそ、こちらのやぶかげと、 走り回はし まわりかけまわって、はらはへるしのどはカラカラにかわくので川の水かわ みずですくってんでの大奮だいふん せんでした。その時の川とき かわ水の美味みず びみだったことが今だに記憶いま きおくのこっています。人間にんげんてどうも変な事へん こと記憶きおくするものです。あるいえで「オーイ。」とぶと、「たすけて!」とこえがする。 「よーし、しっかりしてなさいよー。」 「元気出げんきだしてなさいよ!。」「もうすこしの辛棒しんぼうですよ! 。」「頑張がんばりなさいよー。」とこえのやりりをして居場所の確認いばしょ かくにんと、元気げんきづけをしながられいによっ てかわらをめくる、土を除つち のぞく、天井板てんじょういたをはがす……梁を鋸はり のこ引き切ひ きる。そのころになると方々の家ほうぼう いえ つけたのことか斧の類おの るい近代兵器きんだいへいき?を私達も手わたしたち てれていました。 こえのするほうへともぐりむ。然し余震しか よしん遠慮えんりょなしにやってきて、中に入なか はいり込んだ私達わたしたちもつぶされる のではないかな?というおそれをいだく状態じょうたいでした。ようやくたたみをめくり下に手した てを入れてみると、じん たいらしいものにれた。したはくらくて何も見なに みえないが、とに角人間かくらんげんがいる事に間違こと まちがいない。「しっ かりしなさいよ。」「ウーン。」「くるしいですか。」「ハーイ。」 居る居い いる、きているぞ!こういった生存者せいぞんしゃがいるとつかれも空腹くうふくもすっとんで、ただ夢中むちゅうで、はね のけ、ぶちこわし、っべがして、やっと老人を助ろうじん たすした。お年寄夫婦で寝としよりふうふ ねていたところをやられ、 お1人は梁ひとり はり下敷で圧死したじき あっし、すでにつめたたくなっていました。先程私の手さきほどわたし てれたのはこの人の手ひと てだっ たのです。いまでもあの死体の手したい てつめたかった事が思こと おもこされます。 2たり老い先短お さきみじか将来しょうらいのこと等、寝物語など ねものがたりにしてたその寝入ねいりはなだったのでしょう。この死体したいに すがっていたおばあさんの姿、私すがた わたしには忘れ得わす え出来事できごとでした。 そうした人達も今ひとちた いまはもう、あの世で昔語よ むかしがたりでもなさっているのではないかな、等と私など わたし心の中こころ なかにあ の日の悪夢ひ あくむきついてはなれません。一家全滅の家いっかぜんめつ いえ何軒なんげんかあったとおもいます。 なかでもなみだをそそられたのは可愛い子供かわい こども死体したいでした。無心むしんなあどけないかおをしてつちにまみれてん でいました。 そうこうしているうちに、「西にし三ヶ根山さんがねさんが100mほどひくくなった。形原の方かたはら ほうから海水かいすい津波つなみとなってやってくる。」とったうわさが誰言だれいうとなしにつたわり、不安ふあんにおびえた人々は着ひとびと きのみ のままの姿すがたで、呆然あぜんとしてたおれた我家の前わがや まえにたたずんでいました。 をとりなおした住民じゅうみんのみなさんはそれぞれ大事だいじなものとか、生活用具を倒せいかつようぐ たおれたいえから持ち出も だし、門先かどさきならべ、復興ふっこうへと気力きりょくをみなぎらせて活動が始かつどう はじまり、わたしたちも後片付あとかたづけのお手伝てつだいやら、死体したい処理等に忙殺しょりとう ぼうさつされ、その日も暮ひ くれにちかづきました。 あたりがくらくなると人間は恐怖心にんげん きょうふしんをもちます。なんとなく不安で恐ふあん おそろしくなった住民の皆じゅうみん みなさんは、 兵隊の居へいたい い所が安心ところ あんしんなのか、三々五々さんさんごごと、やってました。 我々も工場われわれ こうじょう中の宿舎なか しゅくしゃはとてもこわ くてはいってられないので、道の東みち ひがし桑畑の中くわばたけ なかにテントをって露営ろえいをすることになりました。 それぞれのテントにこうした村の人むら ひとたちはやってて、今日一日の恐きょういちにち おそろしかったこととか、よも山話やまばなしをひ そひそと、ローソクの灯りに顔を照かお てらされながら語り合かた あいました。 電灯でんとうはつかず一色の部落いっしき ぶらくしずまりかえっています。それぞれのいえでは庭先にわさきにむしろをき、ローソ クなどをともして蒲団ふとんにくるまって1月の寒空がつ さむぞらしたに、これ又野営またやえいでした。 空は満天そら まんてん星空ほしぞらでした。 でも時々、余震ときどき よしん遠慮えんりょなしにおそって来て眠き ねむられぬ不安の一夜ふあん いちや刻々と更こくこく ふけけてきました。 私も土わたし つち上に横うえ よこになりながらるような星を眺ほし ながめて故郷を思ふるさと おもしていました。 「夕空遠く故郷ゆうぞらとおく こきょうそら、ああ我が父母わが ちちはは如何に居いか います。」と心の中でメロディーをくちずさんでいま した。 いやに神経しんけいがピーンとりつめていて昨夜殆さくや ほとんどっていなかったのに少しもねむくならないので す。 ゴトゴトドーン、地の底ち そこをゆるがせて、この大地が今だいち いまにも陥没かんぼつするのではないか、というような すごいひびきを立てると、グラグラと大地が波打だいち なみうつようにゆれる。おもわず、つばをぐっとみこむ。 いきをつめる。また余震よしんです。 今日の長きょう ながかった一日の事いちにち ことが、つぎからつぎへとかんではえ、えて はかぶ。一体我々いったいわれわれはこのさきどうなる運命うんめいにあるのだろうか?。なんとしてもわからぬ人の運命うんめいを、わたし一生懸命考いっしょうけんめいかんがえていました。ゆめかうつつかわからぬうちにねむりにはいっていました。 ふと鶏の声にわとり こえがあくと、そとはもうあかるくなっていました。悪夢あくむの1日は過にち すぎました。今日きょうから 又新またあたらしい1日が開始にち かいしされるのです。 れいによって私達は兵隊わたしたち へいたい食事の用意しょくじ よういをしなければなりませんし、当分兵隊達は陣地構築とうぶんへいたいたち じんちこうちく作業さぎょうは おあずけで、この町の復旧作業まち ふっきゅうさぎょうりかかりました。 そうこうするうちに 私は原隊復帰わたし げんたいふっきめいぜられ、1がつの25にちごろだったとおもいますが、岡山に帰おかやま かえりました。