とう かい しんそなえて かわ しんから まなぼう


かわ しん しつもん and こたえ
Q1: 三河地震みかわじしんは、いつきたのでしょうか?

昭和20年(1945年)1月13日午前3時13分ころです。


<そのころの日本にほんは・・・> アメリカやイギリスなどのくにとの戦争中せんそうちゅうでした。しかし、日本にほんには戦う力たたか ちからもなくなって、 東京や横浜とうきょう よこはまなどの都市としでは敵の飛行機てき ひこうきによって爆弾が落ばくだん おとされ、町が焼まち やかれる空襲くうしゅうがあり、 おおくの死傷者が出ししょうしゃ でるようになってていました。三河地震の前年みかわじしん ぜんねん、12がつには名古屋なごや本格的な空襲ほんかくてき くうしゅうがはじまり、この三河地域みかわちいきでも、いつ爆弾が落ばくだん おとされるか心配な毎日しんぱい まいにちになっ ていました。そのため、各家庭に防空壕かくかてい ぼうくうごうって空襲に備くうしゅう そなえるようにと言う呼い よびかけがさ れ、家々いえいえでは畑や庭はたけ にわ裏山うらやまなどに防空壕を掘ぼうくうごう ほっていました。 また、大人も子おとな こどもも いつでもあたまにかぶれるように防空頭巾と言ぼうくうずきん いうものを用意よういし、爆弾ばくだん破片はへん火の粉ひ こから頭を守あたま まもるようしていました。食べ物た もの不足ふそくして、おこめのご飯の代はん かわり にサツマイモや大豆だいずなどわずかな食糧で飢しょくりょう うええをしのいでいました。
防空頭巾ぼうくうずきんとモンペの姿すがた